C  あたしゃ嘘が大嫌いだ

以下は昔、書いたブログから

どうして簡単に嘘がつけるのだろう。

夫もトメも平然と嘘をつく。  あたしゃ嘘が大嫌いだ !

夫は言った。

「 おまえが庭に花を植えたことなどない。菜の花など庭には一度もない 」

菜の花にこだわるには理由がある。

2011年、大震災の年、私は初めてブログを書いた。

理由は超不純。夫のパワハラ、リストラの危機。なんとか助けようともがき、苦しみ、いつ裏切るかわからない弁護士との一部始終を書き残したのだ。

 

寝返っているかも ??? 弁護士の不穏な動き。

弁護士があてにならないなら、しかたがない。

あたしは、命がけで

夫の会社に出向き、社長に土下座した。

 

人生2回目の土下座。( 1回目は、舅の命令 )

「 まだ子供がいます。後生だから首を切らないで置いてください と。

 

苦しみの中で蒔いた種が、菜の花だった。

311の朝に示談書締結

あと数時間、遅ければ、震災応援部隊派遣の騒ぎで夫のリストラは実行されただろう。

私にとって菜の花は 幸福の黄色いハンカチ

 

頑張った者へのご褒美

それを 

菜の花など、一度もないと平然と嘘をつける夫

写真は、カットしたが孫と仲良く一緒に夫が写っている。

嘘、嘘つき、嘘ばかり

菜の花にもうしわけないです。

 

 Understannding the borederrine mother   

    by クリスティ-ヌ・A・ローソン にこんな言葉がある。

 

ボ-ダ-ラインの中には 嘘が多い。

彼らに言わせれば、嘘をつくのは生き残る為にどうしても必要なことなのだ。

彼らに悪いことをしているという認識はなく

罪悪感や自責の念はない。

このため、めったに謝ることはなく、むしろ

他人から責められると驚く

彼らは自分が生き残るためにしたことは、他人だってするはずだと信じている。

かれらの説明は簡単明瞭だ。

「 だって、しかたがなかったんだもの 」

常習的な嘘と、謝ることがほとんどない・・・・・・・。

 

令和なら、脳神経学者、中野信子さんが言うサイコパスか?

 

菜の花畑に 入日薄れ

見渡す 山の端 霞深し

春風そよ吹く 空を見れば

夕月かかりて 匂い淡し

 

生まれ育った田舎には、春になると、菜の花が、路にあふれ

仲良し、●●ちゃんと、二人 大声で歌いながら帰った。

●●ちゃん家は、二度目の継母で、●●ちゃんは、小さな体で、家の手伝いをし、米も研ぎ、水も井戸からくみ上げ、掃除もしていた。痩せた体で精一杯、我慢して生きていた。

 

大人になり、同窓会に来た●●ちゃんが言ったけ。

「 おばちゃんにお礼を言ってね。ほんとうは行って言わなければならないけれど、敷居が高くて。おばちゃんがくれた、お餅,お芋、全部、ぜんぶ、おいしかった 」と。

 

日本中が貧しくて、村の子は皆、私も(昔、地主)、つぎはぎだらけの服だった。

日本中が貧しくて、皆が、生きるのに精いっぱい。だから温かい古き良き時代とは言わないし言えない。

あの時代は、あの時代の 悲惨な現実があった。

戦争で(シベリアで)片足を失くし、片足で自転車を押し、ラッパを吹いて、豆腐売りのお父さん(同級生の父だった)

飲んだくれて、殴る蹴るの男達(3軒隣の長屋)がいて

どこの家も、どこか悲しい 秘密があり

悲しい掟があった。

そして 皆が みな貧乏だった。

農村の嫁は、みんな働き者で、だけど、みんな蔵の奥で泣いていた。

隣の優しいおばちゃんも 泣いていた

母も 泣いていた。

 

菜の花 おぼろ月夜 

 

 

ろ;足長おじさんの遺言 己が正しいと信じる道を貫き通せ

拝啓、文部大臣殿 男女平等ですよね

昭和45年だっただろうか?

大正生まれの父は、おさげ髪の私に言った。

「 女に学問はいらない。大和撫子になれ 」

 

悔しくて、でも言い返せなくて、それならと

    父が尊敬してやまない文部大臣に手紙を書いた。

「 拝啓、文部大臣さま。時代は変わり男女平等ですよね。なのに時代遅れの父は、女に学問はいらない。大和撫子になれと言います。父はまちがっています。先生、父を叱ってください 」

  中学生の私に、文部大臣から返事が届いた。

見たこともない、それはそれは見事な墨の香が漂う達筆だった。

 

田舎者の少女は、文部大臣の手紙がどれほど価値があるものか気づきもせず、

ポイとゴミ箱に捨てた。

しかも、父と衝突するたびに、手紙を書いては

父に諫言してくれと書き綴ったのだから、若いとは オソロシイ❕

 

専業主婦から10年が経ち、このままでは私はダメになると

思い立って受けた消費生活アドバイザー試験。面接官は、聞いた。

「 あなたの人生に影響を与えた人は誰ですか? 何をその方から学びましたか?」

答えに窮し、思い出したのが、先生の言葉だった。

 

「 古来、日本には聖徳太子三宝の教えがある。

また、和をもって尊しとなす という教えもある。

黙して 人の和をはかるのと 

言葉で 人の和をはかるのでは

どちらが難しいと思うかな

もし、あなたが後者を選ぶならば

どうぞ 

人の和をはかれる言葉を使える人になってください 」

 

足長おじさんは、脳卒中で達筆な字がヨロヨロになり、読むに苦労する字になっても、最期まで、おバカな私に、メッセージを送ってくださった。

入院先のベッドから 最後の葉書には

 

 己が正しいと思う道を貫き通しなさい

 

ふう、ねぇ、もう、ふう、ふうふう 

己が正しいと思う道は

正直に胸に手をあてれば わ か る

でも 貫き通すとなると

並大抵のことではない。

 



時代は、昭和から平成 そして令和へ

天国の足長おじさん

未だに私は、未熟者デ 失敗ばかり

言わなきゃよかったと 後悔ばかり

ついでに黙っていると 利用されるばかり

ふう、ねぇ、もう、ふう、ふうふう 

己が正しいと思う道を貫き通せ と教えをいただいたけど

貫き通すとなると・・・・?????????

 

ふう、ねぇ、もう、ふう、ふうふう 

約束したようなステキな女性になれないまま、私ももうすぐ先生の所へ召されそうです

fuu!ふう。ねぇ、もう、ふう、ふうふう。

 

🎈 追記  天国の先生へ

 NHKのTVでリクルート事件を見ました。事件には、興味ゼロ。

でも社長元妻の碧さん、ステキな女性でした。知性を包み隠す、美しい日本語、とてもとても美しかった。高齢でお人柄がにじみ出る美しさ、たくさんの刃傷を受けられたはずなのに。ひさしぶりに、美しい人を見ました。きっと先生は碧さんのような女性になってごらんと言われたのでしょうね。fuu!ふう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



い;手相家;五味康祐先生、お尋ね申し上げます

大学生だった私に五味康祐先生は仰られた。

10代 苦労

20代 苦労

男運? ないなぁ~

好きな男には振り向きもされず 嫌な男にはつきまとわれ

だが、

35でちょっと良くなる だけど また苦労

45からの苦労は 将来、花咲くための苦労

晩年は最高。死ぬまで男にもてるぞ。

だが何もしないでいたらダメだ。努力しなさい、努力だ!   と。

 

 

空の上の 五味さま 一言、お尋ねしてもよろしいでしょうか?

10代 苦労

大当たりでございます。

父は村の重席でした。

反対派は、わずか小学校1年生の幼い私を、学校帰りに待ち伏せ

土建屋の荒くれ社長が怒鳴ります

「 おい、親父に行っとけ。このまま好きなようにはさせんとな 」

小学校に行けば、今度は日教組

日教組員。「教師は聖職ではない」と闘う戦闘員のE教師が

「 おい、おまえ・・・・」と反日教組;PTA会長の父の娘をいじめます。

学校に行く前には必ず 「 お腹が痛い 」

 

優しい村の医師は 事情を聴くと

お膝に幼い私を抱っこして 

「よしよし、この薬を飲めばお腹は痛くなくなる」と。

プラセボ効果

お腹が痛い ➡ にせ薬と母の甘酒でやり過ごした小学時代

中学も同じ。

日教組の先生は皆、私を標的にいじめた。

だけど、それをわかって守ってくれた 日教組に入っていない先生方。

ありがとうございました。ほんとうにありがとうございました。

これには落ちがある。

父が教育委員長の任命権を持った時、父は長年、私を守ってくれた恩師を教育委員会のトップに任命した。

ここまでなら・・・・普通、だって恩師はすさまじい勉強家と信念の方で、実際、改革案をいくつも実行された。

おもしろいのは、まるで日本昔話のこぶとり爺さん。

この人事を知り、私をいじめ抜いた教師Eが突然、実家を訪れ

「自分こそが娘さんの一番の理解者だった」と母に告げたと。

「お母さん、そのE教師こそ、私をいじめた人だよ」と言うと、

母は、そのまま仏さまの前に座り

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 としばらく念仏を唱えていた。

 

10代 苦労 20代 苦労 好きな男には振り向きもされず

 

ついでに嫌な男には追いかけられ。これも当たっております。

大学時代 想いを寄せていた憧れの君が喫茶店に呼び出しをくれました。

ルンルンで行ったら、いかつい、汚い無精ひげの男が横にいて

「 先輩が、キミを好きなんだ 」と ふう・・・・・

 

あの~五味さま 男運は? どうなっておりますか?

上の薔薇は、別居中のDVモラハラ系夫がくれました。戻ってこいと。

花に罪はございません。

この歳になれば 男は イラナイ 不要です。

五味さま 

あの時、仰られましたよね

「銀座で飲んでいたら、大丸の社長にだまされて、こうして来たが、どいつもこいつも不幸の塊のような手相。だが、キミ! 君のような手相に出会えて、手相見冥利につきる」と。

 

そう言いながら、20歳の私の手を撫でまわされましたよね!

あの~ 五味さま

天下一の手相見大先生が言われた言葉だからと、それを信じ、宝にし、精進して参りました。

このごろは、頭は痛いし、歯もガタガタ、耳も聞こえにくいでございます。

晩年、死ぬまで 良い 

 あれは?  ミスでございますか?

お尋ねしとうございます。

 

 

 

 

B 私は無実だ!と言い残さないと死ねない

私は無実だ!と言い残さないと死ねない

 ❓歳を越え

 そろそろ あの世が 見えてきた 

 もし明日、お迎えが来るとしたら 何が心残りですか?

 こども達に 無実だと あれが母の精一杯だった と。

 こども達が望むような結果ではなかっただろう

 こども達が望むような🏠ではなかっただろう

 こども達が望むような母ではなかっただろう

  But あれで精一杯だった。

 学校のいじめと旧家の嫁に対する姑さまのいじめは同じ。

 学校をヤメル、転校する と決めないと戦えない。

 旧家の嫁も同じ、離婚する、子を取られる を覚悟しないと戦えない。

 防戦に追われ、疲れ果て、ナサケナイ 母だった。

 

 ?年前、息子13歳、姑のいじめを初めて夕食時に3人の子に話した時

 息子は立ち上がり叫んだ

 「 母ちゃんをいじめるなら、もうお婆ちゃんによくしない 」と

 私は諫めた

「 嫁と姑の問題は昔からあること。お婆ちゃんが、あなた達をわざといじめたりはしないから、お婆ちゃんをいじめてはいけないよ

 私は偉かった ♡  バカ偉  ばかだった。 

       そんな私をコトメ様は言う

  「かわいい人」と。

  可愛い カワイイ カワ(・∀・)イイ!! と嬉しく思ってきたから ホンモノのバカだ

  カワイイ = 騙される頭の悪い女 という意味だったとつい先日気がついた。

 

      黙ってお仕えすればするほど

      真心 尽くせば尽くすほど

      いじめは ひどくなった

      夫も そう 尽くせば尽くすほど  

      大事にはされなかった

亡父が、生前、言った

「 おまえが死ぬか、別れないと○○君(夫)は、おまえの良さには気づかない 」

 

特別に、かわいがってもらおうなど思っていなかった

ただただ 普通に

夫やトメさまが 

他人様にお見せになるようなまなざしをいただきたかった

 

亡父が、死ぬ数年前に、呟いた。

「 離婚するか ? 離婚してもいいぞ 」

      あの時、「遅いって」と思った。Why?

   ( 父が生きている間にこそ別れなければならなかったのに )

 

 父が脳梗塞で倒れた年齢を越え

 昨年、姉も脳の手術を済ませ生還

 次は、私の番よね。

 もしかしたら と 予感  

 だから 12年ぶりにブログを書くことにした。

 遺書のかわりに

 

父さん、dousimasyou?

 

 

 

A 願わくは花の下にて春死なんその望月の如月の頃

願わくは花の下にて春死なんその望月の如月の頃

(2011年、私は初めてブログを書いた。パワハラでリストラ寸前の夫を守るために。交渉に負けたら公開するつもりだった)

 

あの時、こう書いていた。

私の大事な宝もの、3人の子ども達

父さんと母さんは今、大きな困難に直面しています。

だからといって死ぬとか

愚かなことはしません。精いっぱい戦います。

だけど、不慮の何かがおこり、父さんが風に、母さんが花になったとき

何も残されていなければ

きっとあなた達は自分を責めるでしょう。

どうして早く気がつかなかったのか? どうして言ってくれなかったのか? と。

だから真実を記します。

 

母さんがまだ学生だった頃、

『 願わくは花の下にて春死なん・・・』

西行の和歌に出会った時、

桜がきれい。ダカラ桜の下で死にたいと詠んだのだろうと思っていました。

でもほんとうは違うのかもしれません。

 

人生の苦境に立たされ

負けそうな自分に

「 桜が咲くまでがんばれ 」とエールを送っていたのではと思うのです。

つらくて  つらくて

負けそうで 折れそうな

自分に言い聞かせているのではと思うのです。

今の母さんのように

 

いつまでも続くと思うから耐えられない

春、桜が咲くまででいい。

それまで頑張ればいい。

 

とスラスラと書いていたけれど、実際は下の写真のように七輪と練炭を買って車に乗せました。

 

夫の会社や弁護士事務所へ出かける前には

いつでも死ねるんだから  

トランクを開けて、お守りのように練炭を拝んで

自分にガンバレと言い聞かせないと

負けそうで 心が折れそうで 泣きそうで たまらなかった。

あの日、2011年3月11日14時46分、私は入院していた夫に代わり、弁護士事務所へ向かっていた。

 

長男が電話してきて叫んだ。

「お母さん、大地震が起こって、日本中がたいへんだよ。知っとうと?

○○(東京にいる妹)の友達が○○はだいじょうぶかって家に電話してきようよ」

 

正直、運転中で大地震は知らなかった。

末の娘が東京のぼろアパートに住んでいる。でも夫は点滴中。私の身は一つ。

娘のことはあとでなんとかする。後でもできるはずと言い聞かせ車を飛ばした。

通いなれた道なのに、ナビもつけているのに、悲しいほど道に迷う。

やっと法律事務所に着くと、弁護士は午前中に合意した示談書を見せてくれた。

 

パワハラ 退職勧奨  願い通りに夫の首はつながった。

3.1・1の日に、まるで非国民のように

自己の案件で走り回った。

 

あれから12年、こうして、昔、書いた「はてな」を読み直し

立ち止まり、振り返り 

新しい航路を探している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

➎ 祭りが終わって(選挙は終わり格差は残る)

  祭りが終わって 

 

日本中がざわついた選挙が終わった

台風のように

あっという間に投票日がきて

あっという間に自民党が勝って

あっという間に終わった

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平成の30年間は

失われた30年

 

いつのまにか 日本は貧乏になり

いつのまにか 一億総中流は消えた

勝ち組、負け組は

まだ かわいい表現

今は 階級(格差)社会と呼ぶ

はるか上の上級国民と あたし達 下級国民

中級国民は わずか

 

自然と差がついたのではない

中流が怠けていたわけでもない

グローバル企業 競争がそうさせた

用意された椅子は少ない

選挙後の大臣席と同じ

 

  夫はリストラ、体の良い片道切符の転社

  子の就職先は 親の会社よりはるか下

  妻のあたしも 専業主婦など、とんでもない

  夫の年金だけでは生きていけない

  非正規、2つの仕事をかけもつ

 

落ちた者にしかわからない

世間の風、木枯らし

 

隠さずにはいられない 無念

重い現実

逃げ場などない

これ以上落ちたくないと

必死で踏みとどまる 努力

いつまで 切れずにもつか 蜘蛛の糸

次に 落ちれば 底なし沼

這い上がる方法も気力もない

 

 1993年、平成8年、日経新聞 格差容認の時代という論説があった。

まさか、たった30年で、格差容認の結果が、一部の国民だけが富も金も握り、あとは下級、貧困に落ちるとは思いもしなかった。

 

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眞子様の件も、理解しています。

ローマの休日

好きな人と自由に恋愛を謳歌したい

好きな人と結婚したい

 

眞子様を不憫に思い、頭では理解できるのです。

でも今の日本は、国民の多くが、貧しい。

民が貧乏で苦しんでいる時に

税金で、綺麗な服を着て、美味しいお料理を頂き、大学も大学院も、お金の心配をせずに卒業された。

それは「持てる者の特権」

うらやましいと国民の半分は思っている。

お金があれば、子供にもっと十分な教育を受けさせれたのに。

「 留学したい 」と そっと つぶやいた15歳(いじめから不登校だった)

留学させてあげたかった

ただそれだけのこと。

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❹ ブータンに負けとろうもん

  ブータンに負けとろうもん

 

ヒマラヤ山脈の南すそ野にあるブータン

チベット仏教の国

貧しい農村

日本人と同じルーツ

日本人と同じ肌の色に瞳

勤皇の志士を思わせる第4代国王が言う

「 我が国はいたづらに

   国民総生産を追うのではなく

 国民総幸福量を求める国でありたい 」

GNPよりGNHだって

Gross National Happiness

国民みんなが幸せにならなくてはならないだって

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日航の空を飛んでいた友人からの高山で見つけた花

なんかテレビを見ていて

あたし 恥ずかしかった

 

幸せはモノと心の両方だと

だれだってわかっている

だから貧から成功すると 愛や名誉を人は求める

 

恥ずかしかったのは

心が大事って教えられたからじゃない

 

若いイケメン国王が

【 国民の幸せ 】を

ほんとうに願っているのが伝わったから

 

長い鎖国を破り

開国した姿は まるで明治の日本

 

あたしが小さい時

大正生まれの父のまわりには

村の男衆が 夜な夜な集まり

酒を飲みながら

「よか日本にするため」と話しよった

みんな

戦争で死んだ人にもうしわけがなか生き方はできん」と言いよった

 

あのころは貧しくて (昭和30年代)

クリスマスにしかケーキは食べれない

冬の手袋が買えなくて

みんなしもやけだった

 

テレビに映る

ブータンの貧しい農民の心、人間として勝っている心

 

あたしは

恥ずかしい

 

平成の現代

百年に一度の経済危機と言うけれど

過去最高の役員報酬

ゴルフ場に並ぶ高級車

三ツ星に群がるリッチマン

その陰で

誰にも知られず死んでいくホームレス

誰のための社会で

誰のための国なんだろう

ブータンに負けとろうもん

ブータンに負けとろうもん

 

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   この詩はブータン国王が訪日された時に書きました。

あれから何年がたつのでしょう

 

日本は、国政選挙の真っただ中

眞子様は、ご結婚

 

昔、ブータンの若い国王が真摯に

【 国民の幸せ 】を

願っている姿を思い出した次第です。

 

ブータンに負けとろうもん